京王プラザホテルは、まだ周囲に超高層ビルが一棟も立っていない広大な淀橋浄水場の埋め立て地に、野中の一軒家状態で七一年に開業した。当時、京王電鉄と京王百貨店の社長を務めていた井上定雄が周囲の反対を押し切り、またホテル業界でも「新宿ではホテル経営は難しい」との見通しに異を唱えながら、電鉄と百貨店の社長の座をなげうってまで建設に取り組んだというホテルである。井上は「世界の都市はすべて西に向かって発展してきている。
[注目サイト]
八丈島 ホテル
http://www.jalan.net/yad310816/
>> 詳細はこちら
奈良 ホテル
http://www.jalan.net/hotel/290000/
>> 詳細はこちら
みなとみらい ホテル
http://www.jalan.net/hotel/140000/STA_044502/
>> 詳細はこちら
西鉄イン黒崎
http://www.jalan.net/yad311317/
>> 詳細はこちら
お宿 木の葉
http://www.jalan.net/yad340168/
>> 詳細はこちら
いずれ東京都の中心もこちらに移ってくるよ」と予言していた。だから、東京の玄関口になる新宿に国際級の、日本初の超高層ホテルを何としてでも建てたかったのである。当初、この規模で完成すると、ホテル最上階・四七階の展望室は有料(当時二五〇円)であるにもかかわらず、半年足らずで一〇〇万人の入場者を数えるなど、京王プラザホテルの存在感は短時間で世に知られるようになった。テレビCMなど広告の背景にもよく使われ、「あんな高いホテルに一度は泊まってみたい」という憧れを人々の心に植え付けていった。そうしたパイオニアだけに、その後も新しい試みが次々に実施された。七五年のホテル初のチャペル開設、八八年のユニバーサルルームの新設、九二年の日本酒バー「天乃川」の開業などである。ことに社会的にも評価されているのがユニバーサルルームである。八八年に国際リハビリテーション会議の会場になって以来、ホテルではバリアフリー対応の客室を増やしており、現在二五室のユニバーサルルームを数えるに至っている。これは日本のホテルでは最も多い数で、〇三年には東京都から「福祉のまちづくりに顕著な功績のあった団体」として表彰されている。